日本書紀には興味深い記事がいっぱいある。
例えば、仁徳天皇11年10月条。
河内平野では淀川と大和川の合流地点付近で、
たびたび氾濫が起きていた。
それを防ぐ為に、仁徳(にんとく)天皇は「茨田堤(まむたのつつみ)」
と呼ばれる堤防の築造を命じた。
しかし、うまく工事が進まない場所が2ヵ所あった。
古い時代の話なので、次のように展開する。天皇の夢に“神”が現れて、こんなことを語る。「関東・武蔵の住人、強頸(こわくび)と地元・河内の住人、茨田連(まむたのむらじ)コロモノコの2人を犠牲として河の神を祭れば、工事が難しい2ヵ所も首尾よく完成するだろう」と。そこで、強頸は泣き悲しみながら河に沈んで犠牲となり、
まず1ヵ所目の工事は完成した。
ところが面白いのはコロモノコの対応だ。「神よ、ヒョウタンを河に投げて水に浮かべるから、それを沈めてみせよ。
それが出来なければ、そなたは真の河の神ではない。
ニセの神だから、私は決して犠牲になんかならない」と言明した。すると、急につむじ風が吹いてヒョウタンを沈ませようとするのだが、
遂に沈まないまま、流れ去ってしまった。
こうしてコロモノコは犠牲にならず、工事も無事に完成した-。
この説話については、歴史学者の上田正昭氏や国文学者の吉井巌氏の解釈がある。
しかし、古代史研究者の松尾光氏の論考を参考にすると、
以下のように理解出来るだろう。工事の邪魔していたのは実は河の神ではなく、風の神だった。
でもコロモノコにやり込められたので、それ以上、妨害が出来なくなった、
と(日本書紀の記述でも、夢で天皇に意思を伝えたのは、「神」としか
書かれていない)。率直に言って、人が神を“テスト”した話だ。
古代の日本人には、そのような「合理的」な思考態度もあった。
日本書紀がそれをわざわざ記事にしているのは見逃せない。
「聖帝(ひじりのみかど)」と称えられた仁徳天皇も、
ニセの神にいっぱい喰わされた格好だ。
日本書紀の編者は、そのことも気に掛けていない。【高森明勅公式サイト】
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