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高森明勅
2020.2.9 16:59その他ニュース

日本書紀と「ニセの神」

日本書紀には興味深い記事がいっぱいある。
例えば、仁徳天皇11年10月条。
河内平野では淀川と大和川の合流地点付近で、
たびたび氾濫が起きていた。
それを防ぐ為に、仁徳(にんとく)天皇は「茨田堤(まむたのつつみ)」
と呼ばれる堤防の築造を命じた。
しかし、うまく工事が進まない場所が2ヵ所あった。
古い時代の話なので、次のように展開する。
天皇の夢に“神”が現れて、こんなことを語る。「関東・武蔵の住人、強頸(こわくび)と地元・河内の住人、茨田連(まむたのむらじ)コロモノコの2人を犠牲として河の神を祭れば、工事が難しい2ヵ所も首尾よく完成するだろう」と。そこで、強頸は泣き悲しみながら河に沈んで犠牲となり、
まず1ヵ所目の工事は完成した。
ところが面白いのはコロモノコの対応だ。

「神よ、ヒョウタンを河に投げて水に浮かべるから、それを沈めてみせよ。
それが出来なければ、そなたは真の河の神ではない。
ニセの神だから、私は決して犠牲になんかならない」と言明した。

すると、急につむじ風が吹いてヒョウタンを沈ませようとするのだが、
遂に沈まないまま、流れ去ってしまった。
こうしてコロモノコは犠牲にならず、工事も無事に完成した-。
この説話については、歴史学者の上田正昭氏や国文学者の吉井巌氏の解釈がある。
しかし、古代史研究者の松尾光氏の論考を参考にすると、
以下のように理解出来るだろう。

工事の邪魔していたのは実は河の神ではなく、風の神だった。
でもコロモノコにやり込められたので、それ以上、妨害が出来なくなった、
と(日本書紀の記述でも、夢で天皇に意思を伝えたのは、「神」としか
書かれていない)。

率直に言って、人が神を“テスト”した話だ。
古代の日本人には、そのような「合理的」な思考態度もあった。
日本書紀がそれをわざわざ記事にしているのは見逃せない。
「聖帝(ひじりのみかど)」と称えられた仁徳天皇も、
ニセの神にいっぱい喰わされた格好だ。
日本書紀の編者は、そのことも気に掛けていない。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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